2013年5月23日木曜日

Katie Adlerさんのオンライン英語ライブショー 楽しいしお勧め


英語の勉強とか、特にリスニングの練習とかしたい人このサイトお勧めだよ (http://englishwithkatie.com/internet-show-tracey-northcott)。

Katie Adler っていうNHKのラジオ番組で英語教えてる (教えてた?) 人が司会で、リアルタイムの英語のオンライン番組を日本時間の毎週木曜日の10時からやってて、俺はTwitterでこの人の番組の事知って (俺をフォローしてくれた) 今日初めて聞いてたんだけど、質問とかコメントを送れるボックスがあったからどうせだからと送ってみたら、答えてくれた!(質問自体してる人そんなにいなかったから大体答えてくれると思う。)

しかも!...

Skypeのライブ配信機能みたいの使ってるみたいで、サイトから埋め込みのプレーヤーでも聴けるんだけど俺はSkypeで聞いてたの...

そしたら!...

「Kouheiってリスナーから質問が来てるわね」みたいになって、俺の質問を取り上げてくれた時に Hi とか言ってたんだけど、まぁラジオだしリスナーからの質問とかにはそういう感じで最初答えるもんだしなと思って俺も心の中で「俺の来た!HI!!」って感じで言ってたんだけど、どうも相手は俺に話しかけてる感じだったのよ。応答を待ってる感じの間があって。スカイプで聞いてたし、もしかしたらと思ってHiって言ってみたらあっちに繋がってんの。笑 それは I wasn't expecting that だったからびっくりしたしおどおどしちゃったよ。笑 でも俺のを取り上げてくれた時に「Hi, Kouhei, thank you for your question! We are going to bring you on!」みたいな事を言ってた気がするから「ショーに招待するね」みたいな事言ってたんだよね。"bring you on"って俺の質問の事を、「取り上げるね」って意味で言ってるのかと思ったよ。あと「質問ありがとう、せっかくだからTracey (ゲスト) と直接話す??」みたいに聞かれたけど、聴いてるだけだと思ったのにいきなり俺のマイクがあっちに繋がったから話す心構えも出来てなかったし、まさか俺がいきなりライブのショーに出してもらえる (出された) なんて思ってなかったから「僕のコメントを読んでもらって質問にそちらで答えてくれれば良いです」みたいな事言っちゃったよ。優しく、要点捉えて答えてくれたよ。こういうショーやってる人だけあるね、さすが。俺も新しいファンになりました。声が良いね。俺 English speakers の声って generally speaking 好きなんだけど、彼女の声も一つのタイプの声だった。ソフトで、聞き取りやすくて。今日のゲストはオーストラリア出身 (って言ってたはず) の女性で、I liked her voice, too. オーストラリアのアクセント俺は好きだな。ちょっとイギリスのアクセントっぽくて。

リスナーがどれだけいるかは知らないけどそういう番組にリアルタイムで、ライブで出られたと思ったらなんか嬉しかったわ。こうなるって知ってたらあんなにおどおどしなかったよ...。また今度聴こう〜 そんでまた質問しよう〜 今度は心構えしとくよ。

最後に、今日そのショーで言ってた事。いつも言ってる決まり文句なのかな? "Do good things, and good things will happen." 「良い事をすると良い事が起こるよ」

では!

Kouhei - May 23 2013 11:54 PM

2013年4月30日火曜日

英会話スクールのネイティブじゃない「外国人講師」たち。


英語が母国語でない人(例えばヨーロッパの人)でも例えば「外国人教師」とかいう"売り"として英語を教えてるのは何なんだろう。日本人でも英語のレベルが高い(文法や会話力)人、教えるのが上手い人もいるのに。やっぱ「外国人だから」っていうのでアドバンテージがある部分もあるよね。「外国人」だからってみんな英語の発音(大事なのは勿論発音ばっかじゃないけど)が上手いわけでも、日本人より英語力が高くて教えるのが上手いというわけでもないのにね。勿論ネイティブかどうかが一番大事な所じゃないけど、単に「外国人かどうか(或はネイティブかどうか)」を気にしてる人はナンセンス。

気にするならネイティブかどうかじゃない。英会話教室じゃなくて英語力(読解力やリスニング力)を上達させるのが目的の英語教室なら勿論ネイティブかどうかが大事なポイントじゃない。それなら色々な事を正しく知っていて、それでもって教えるのが上手い人がいい。ネイティブでも非ネイティブでも。で、会話の仕方を身につけるなら勿論ネイティブが望ましいと思う。発音だったり自然な表現だったり、説明は上手く出来ないけどネイティブだからこそ身に付いている事もあるし。

日本にいる外国人で英語がネイティブじゃない人で英会話スクール(主に子供相手)の先生やってた人と何人か会ったことあるけど、ネイティブでない俺ですらその人達と英語で会話している中でネイティブとは全く違う不自然なイントネーションだったり正しくない文法だって分かる喋り方だった。そういう人達が「外国人教師」というのを(きっと)売りにしているであろう英会話スクールで、ネイティブでもない(また言うけど英会話スクールだとしてもネイティブかどうかが必ずしも一番大事なポイントではない)、ましてや発音だったり文法もネイティブと比べて明らかに遜色があるのにそういうのが分からない「やっぱ英会話は外国人の先生から教わらなくちゃ」とか思ってる(かも知れない)日本人の生徒を相手にして英会話を教えてるのがちょっと疑問。勿論子供相手の英会話スクールの場合発音だったり文法だったりよりもまず「"生の"英語に触れさせる」って事が大事なんだろうから、まぁネイティブじゃなくても良いんだけどね。でもそしたらこの"生の"ってのは別に「外国人」(ましてやネイティブでない人)の英語である必要はないと思うんだけどね。

あ、やっぱり英語は日本人(アジア人)が喋ってるより見た目が西洋人の「外国人」が喋ってる方が「本物っぽい」のか。w

だって考えてみて。あなたの個人的な印象じゃなくて客観的に多くの人は一般的にどっちの先生から英会話を教わりたいか。発音だったり知識だったり教える能力だったり、どっちの英会話力も同じ(そこそこのレベルだけどネイティブと比べて明らかに遜色がある)として、日本人(国籍がって意味じゃなく「日本人」と聞いて思い浮かぶ様な一般的な日本人)からか英語圏の国出身とかじゃなく英語がネイティブじゃないけど見た目が所謂「外国人」の先生からか。後者でしょ?例えば、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドは英語が公用語の国。フィリピンも英語は公用語の一つ。これらの国の出身者(単に出身なだけじゃなく、英語を母国語として育ってきた人)を「ネイティブ」とするなら、英語がネイティブの人の人種は何でもある。白人、黒人、アジア人、ヒスパニック。だから見た目で言うと英語がネイティブの人はどんな見た目もあり得る。でもまぁメジャーなのを言ったら白人と黒人だろうね。「外国人」と聞いて多くの人がまずイメージするであろう人種の人達ね。だから同じネイティブから英会話を学ぶとしても、アジア人のネイティブと白人/黒人のネイティブどちらかと言ったら多くの人が後者でしょ。そっちの方が「英語喋ります!」っぽいもんね。笑

もちろん英語が母国語じゃなくても、日本語だけが母国語の人と(一つの)ヨーロッパの言語だけが母国語の人と比べた場合、一般的にはヨーロッパの言語が母国語の方が英語の習得(英語らしい発音の習得とか文法)に有利な場合が多いと思う。まずヨーロッパの殆どの言語は英語と同じローマンアルファベットを使う。文法も似ているのもあるし、少なくとも日本語の文法と比べると日本語の文法は英語を含め西洋の言語とかなり違う。発音に関しても日本語が母音主体の言語なのに対して殆どのヨーロッパ言語は英語と同じ子音が主体の言語。だから日本人とヨーロッパ人、どちらも英語がネイティブじゃないとしてもヨーロッパ人の方がアドバンテージが大きい。

話がどこまで行くのか分からなくなって来たけど、元に戻すと、英会話スクールとかで「外国人講師」とかって売りにしてる所あるじゃん。ああいうのは、スクール側も生徒側も「外国人」かどうかがポイントかのように思うのはナンセンスだよ。「英語が母国語でない人に英語で(英語の授業に限らず)授業をする資格」という物があるんだけど、それはネイティブだからって取れる訳じゃないし逆に言えばネイティブじゃなくても取れる。それでその資格があれば世界の大学で英語を使って授業が出来る(もちろんその授業を教えるための学位も必要)。そういう、大学で英語を使って授業をしてる教師の中にはネイティブじゃない人もたくさんいるよって事。

なんかもうこの辺で終わるわ。自分でも何が言いたいのかよく分からなくなってきた。言いたい事は全部言ったからいいや。順序とか、分かりにくい部分もあったとおもう。もうちょっと書き方考えないとね。

Thanks for reading.

Kouhei

2013年4月27日土曜日

英語の教科書での日本語訳について思う事。



誰かに英語を教える事になってもちゃんと教えられるように、質問されてもちゃんと分かりやすく答えられるように、高校の時の3cm位ある英語の総合的な教科書を読み直してるんだけど、ちょっと納得いかなかった所を見つけた。四角の中の三つの英文の日本語訳はそれぞれ 〜た、〜です、〜いる で終わってる。三つの英文のニュアンスに違いは無く、どれも「我々は笑った」「私の父は教師だ」「小さな犬は/が私に向かって走っている」という事実を述べているだけ。なのに日本語にすると一つは丁寧語の形で終わり、一つは「だ」という強めの形で終わり、一つは「〜している」という単に状態を表した形で終わっている。二番目だって「〜である」で終われる。「です」でもいい。一番上のだって「笑いました」だっていい。「〜笑いました」「〜です」「〜います」なら全部形は統一されてる。若しくは「笑った」「だ/である」「います」でも良い。

ちょっと英語を学んでいけば、英語には日本語のような「です/ます」の様な表現や文が無い事に気付く。また逆に、例えば英語話者が日本語を学ぶと、英語には無い「です/ます」という表現がある事を学ぶ。日本語が母国語の英語学習者のみに関して言っても、こういう同じ様な形の文章で統一されてない訳になってると、「こう言うとですで、こう言うとだなのか」とか思う人もいるかも知れない。そうすると変な誤解を生む。

俺はこういう、教科書みたいに英語を体制的に(って言うのかな?)、客観的に例文とかを使って学んでいく場面では「です/ます」は使いたくない。だって"I am a student."は「私は学生です」ではないもん。"I am a student"は"I am a student"なんだよ。意味は「自分は学生である」という事だけど、訳としたら「私は学生だ」でも「私は学生である」でも「僕は学生であります」でも「俺は学生なんだ」でもなり得る。

またこれとは逆に、日本語を外国語として学ぶ人にも「です/ます」形では学んで欲しくない。何か食べて「これは美味しいです」とか変に聞こえる。赤ちゃんも敬語で日本語を身に付けていかない。食べる、行く、欲しい、とか。

だから大人で日本語を外国語として学んでる人も、「昨日寿司食べた。美味しかった(美味しいだった、はよくある間違いだけど許すよ)。また食べたい。」こっちの方がよっぽど自然。例え本来は敬語で話すべき相手に言ってたとしても、日本語が拙い者が使う日本語としては。だって敬語で喋ってるのにカタコトじゃチンプンカンプンだし、相手が目上の人でも、態度さえちゃんとしてればそれこそ「お前」とか呼ばない限り大丈夫。「お昼何食べる?私ハンバーグがいい」とかでもいいじゃん。

まぁ彼らが敬語で日本語を学ぶ大きな理由としては学ぶ側にとっても教える側にとっても「です/ます」形の方が統一性があるから学びやすいって事だよね。でも「だ/〜(い)る」形で学べば、ある程度日本語のレベルが上がればそういった文は「です/〜(い)ます」で言い換えられるって分かるんだから、敬語で話すのはそれからでいいじゃん。それができるようになってからの方がいろんな表現への応用が出来るようにもなると思うんだよね。

Kouhei

2012年3月13日火曜日

過去形と完了形の違い。

次は過去形と完了形(過去分詞)の違いについて書こうと思うんだけど、この疑問ってきっと学校で先生が言ってるよね?

英語が専門の先生より上手く説明できるとは思わないけど、説明が下手な先生もいるだろうということで、とにかく説明します。

ずはり、過去形は単に過去のある点に起こった動作を表すだけです。
例だと、「昨日本を読んだ。」とか。昨日という過去の一点について話して、読んだという動作をしたことが"I read a book yesterday."が表すことになります。

一方、完了形は読んで字のごとく、完了したことを表します。分かりやすく言うと、ある動作が既に終わっていること。
これも過去に行なった動作について話すのですが、過去形が過去のある一点の動作についてなのに対して、完了形は現時点の立場で過去に行なった動作を振り返って、それが既に起こったということを表します。
例文だと、"I have read the book."は過去のいつなのかは特定せずに、過去にその本を読んだことがあるということを表します。


文章的に大きな違いが、過去形はyesterdayとかthree days agoとか、過去のある一点、特定の時間を指すことが多いのですが、完了形はそれらの限定的に過去のある一点を指す言葉と一緒には使われません。
すなわち、"I have read the book yesterday."とはならないです。


しかし、もう少し進んだ話をすると、過去完了では過去の特定の点を指して完了形を使うことがあります。例えば、"I had (already) read the book yesterday."とかです。これは、過去のある一点(昨日)から見た過去(昨日より過去)に行った動作が昨日の時点で既に完了していたことを表します。

ここまでの説明で過去形と完了形の違いは分かりましたか?過去完了は完了形の使い方が分かってから分かると思います。

もう一つ、過去形と完了形の違いを見分ける、使い分けるポイントとしては、過去形はある動作が過去のある一点に起こったことしか表さないので、現在その動作がどうなってるかは表されていません。例えば"The door was closed."は、単に「ドアは閉まっていた。」という意味なので、現在は開いているかもしれません。一方、"The door has been closed."と、完了形になっていると、ドアが閉ざされた時点から少なくとも現時点まではドアは閉ざされたままだということを表します。

では"finish"はどうでしょう。これはその単語自体で、"終わる、終わらせる"という意味がありますね。しかしこれも、過去形では単に過去のある一点で終わったことを表すだけなので、終わった後にまた始まったかもしれません。それについては表されていないので分かりません。
しかし、完了形ならその終わった時点から少なくとも現時点までは終わった状態が続いていることを表します。


言い忘れていましたが、完了形ではよく"already"や"yet"が文章中に使われます。しかし、例外もあり、過去形でも"yet"は使われることがあります。例えば、"There were some people, yet."とかです。意味としては「まだ(そこに)何人かいたよ。」ってことです。
どうして"yet"が過去形でも使われているかいうと、僕が思うに、この文章が使われる状況として考えられるのが、「そこにまだ何人かいた」ことを確認した人物は、そこにいた人たちが前からそこにいたのかは知らなくて、でも確認してくるように頼まれたことからそこに人がいることを予想した上での結果的にそこに"まだ"人がいたことから"yet"を使っているのだと思います。ですから、逆にそこに既に人がいなければ、"There was already nobody."となります。


まぁ、とにかく、過去形と完了形の見分け方、使い分け方は、ある動作が過去の特定の点(それが"last year"でも)に起こったことをさしている。もしくは過去のある一点に起こったことのみを表していて現在のとこは表していないなら、過去形。
ある動作が現時点(もしくは過去完了なら過去のある時点)から見た過去に起こっていて、それが特定の点に起こったということを表していなく、なおかつ/もしくはその動作が今も続いていることが表されていたなら完了形。

この英語でいう過去形、完了形のちゃんとした違いは日本語では表せないので、日本語が母国語の人には少し分かりにくいかもしれませんね。正直、僕もたまちどっちを使えばいいか分からないことがあります。ですが、慣れてくると、英語なら日本語で表せない過去の細かな違いが表せるということになるので、表現力が広がりますねを


僕の拙くてややこしい説明で分かってくれたらと思います。そうだ、I hope YOU HAVE UNDERSTOOD the difference between the past tense and the perfect tense with my amateur and complicated explanation.

Kouhei

How Many Coffees Would You Like?

日本人の皆さん、学校でcoffeeは不可算名詞と習いましたね。数えられない名詞だと。

はい、そうです。Coffeeは数えられないです。だからThree coffeesじゃなくてThree cups of coffeeって言わなきゃいけないって。ですが、実際にはcoffeesって使います。

どういった場面かというとら、カフェとかで、コーヒーが一杯ずつ提供されている所で。レストランとか。コンビニの缶コーヒーもですね(英語を使う場面で"缶コーヒー"が出てくるかは別として)。

なんで数えられない名詞なのに数を付けて言うのかというと、数をつけて言ったら、"~ cups of ~"だと分かるからです。

家で家族とかに、"コーヒーいる(いれようか)?"とかいう場面で言ったらちょっとおかしい感じになります。でも、家族が何人かいる中で、誰が欲しいのかという意味で、何杯いれるか聞く時は"How many coffees do you need?"とか言いますね。

もちろんcoffeeだけじゃないです。他の飲み物、milk, water, tea, beer とかも同じです。

でも!でも、正式にはやっぱりcoffeesとかwatersと言うのは文法的には間違いで、あくまで口語的表現なので、ちゃんとした文章を書く時やちゃんとした話し方をしなきゃいけないときは、cups of ~ を使いましょう。

ただwaterとかいわゆる数えられない名詞として学校で教えられるのは絶対に複数形にならないというのは違うよ、ということです。

あ、でも他の数えられない名詞の代表としてmoneyがあるけど、これは明らかにmoneysとかmoniesにするとおかしい。まぁ理解はされるだろうけど。

あとpeople.これはちょっと違ってて、単語だけでは複数形じゃないけど、単語自体が複数のものを指す単語だよね。たまから、There is people.じゃなくて、There are people.になるの。
てまもこれも例外、というか普通の使われ方としてpeoplesってのがある。これは、peopleを一つの種類の人たち、例えば人種とかで見たとき、日本人みんなをまとめてpeople、他の人種、例えばカナダ人をまたpeople、この日本人とカナダ人の二つのまとまりを指してpeoplesと言う時もある。ただ、一般的に"人々"を指して話す時はpeople.
"There are a lot of people on the Earth."と"There are a lot of peoples on the Earth." は前者は"地球にはたくさんの人がいる。"って感じで、後者は"地球には色々な人がいる。"って感じで、後に"コーカソイド、モンゴロイド、ネグロイド..."とか色々な種類の人を例として続けると文章として自然な流れになります。それがなくても、そう言う意味をはらんでるなって思います。



なのでみなさん、学校で教わる事、教科書が言ってること全てが全てじゃないです。

でも不可算名詞、可算名詞ってのはやっかいですよね。僕も今だになんでcloudsになるのかピンときません。

Kouhei